中国語

2005年、スティーブ・ジョブズによる「伝説のスピーチ(全文)」の中国語訳(繁体字)

今でも語り継がれるスティーブ・ジョブズの「伝説のスピーチ」

「伝説のスピーチ」と言われる、2005年6月12日に行われたスタンフォード大学の卒業式でのスティーブ・ジョブズによるスピーチをご存知でしょうか。

まだ見たことがない人は、まず見てみてください。
見たことはあるけど、内容を忘れてしまった人はこの機会にもう一度見直してみましょう。

※スティーブ・ジョブズ 元CEO Apple Inc.
(1995.2.24~2011.10.5)

今年は2019年ですので、もうすぐ15年が経とうとしています。

しかしながら、このスピーチの未だに色褪せることはありません。

今でも多くの人(特にこの時のスピーカーと同年齢の方々)に聞いてほしい内容です。若者だけでなく、幅広い年齢層の心に今でも響くのではないでしょうか。

僕も久しぶりに今日このスピーチを聞いたのですが、10年以上前に聞いたときとは受け取り方が違ったり、今だからこそ分かることがあったり、非常に感慨深く感じます。

皆さんが心に響くキーワードはそれぞれ違うと思いますが、ここからは僕が印象的だと思う点を日本語訳を引用しながら示していこうと思います。

15分程のスピーチですが、テーマは3つだけです。

  1. 点と点をつなげる
  2. 愛と敗北
  3. 死について

※全文読むのが面倒くさい人は黒い太字と赤い文字だけ読んでみてください。

日本語訳(全文)

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

まずは、点と点をつなげる、ということです。

私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

2つ目の話は愛と敗北です。

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

3つ目の話は死についてです。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

ありがとうございました。

僕なりに要点をまとめてみました。

  • 今やっていること、やってきたこと(多くの点)は将来必ず何かの役に立ち、それらが繋がる(線になる)ときが来るので決して無駄にならない。そう信じよう。
  • 偉大なことを成し遂げるための唯一の方法は、自分の好きなことを見つけ、それを仕事とし愛すること。情熱を注ぐこと。それがまだ見つかっていないのなら、探し続けること。見つかるまで止まらないこと。
  • 周りを気にせず、自分の心と直感を信じること。自分の心と直感は本当は何がしたいか既に知っていて、それを探し出すだけ。
  • ハングリーであれ。愚か者であれ。

ちなみに、下記に中国語の翻訳をくっつけている日本語のサイトがないので、中国語学習にも役立つように中国語訳(繁体字)も載せておきました。

日本語訳と同じように黒い太字と赤い文字をつけています。

中国語訳(全文)

今天我非常榮幸,來到世界上最好的大學之一。我自己沒有從大學畢業,現在可以說是我最接近大學畢業典禮的時候。我想跟各位分享我人生的3個故事,沒有特別的大道理,就是3個故事。

1個故事,是關於很多點滴的串連。

我在里德學院(Reed College)只待了6個月就休學了,到我退學前,我整整休學了18個月。為什麼我要休學?

故事得從我出生前開始。因為我的生母是個年輕的研究生未婚媽媽,她決定找人收養我。她很希望收養我的人也是研究所學歷,所以她把每件事安排好,讓我被一對律師夫婦收養。沒想到等我出生,他們在最後一刻反悔了,說他們想要一個女孩。所以我那還在等候名單上的爸媽(指現在的養父母),半夜接到一通電話,問他們:「我們現在有個意外出生的小男嬰,你要收養他嗎?」「當然,」他們毫不猶豫地答應了。但是我生母後來才發現,不但我母親沒有大學畢業,我父親連高中都沒畢業。結果她拒絕簽署收養文件,一直到幾個月後,我的養父母保證讓我上大學,她的態度才軟化。

17年後,我真的上大學了。可是我天真地選了一所幾乎跟史丹福一樣貴的大學,我那不過是工人階級的養父母,把積蓄幾乎都花在我的大學學費上。念了6 個月,我看不出價值所在。我不知道我的人生要做什麼,也不知道學校能幫上什麼忙,我只會把父母畢生的積蓄花光,所以我決定退學,相信事情總會O.K.。當時我是滿驚慌的,但是回想起來,這是我所做過最棒的決定。我退學的那一刻,等於停掉了我沒興趣的那些必修課,把時間投入那些我有興趣的科目。

當然也不是全然那麼浪漫。我沒有宿舍,所以我睡在朋友房間的地板上。我用可樂瓶退瓶拿到的5分錢買食物,每個星期日晚上走7英哩路,穿越整個鎮,只為了到Hare Krishna神廟好好吃頓飯。我愛去那裡吃飯。順著我的好奇心與直覺,那些讓我佇足、蹣跚而行的事物,後來都變成無價珍寶,譬如:里德大學有當時可能是全國最棒的書法指導。校園裡每張海報、每個抽屜的標籤,都有漂亮的手寫書法。因為我退學了,不用上正常的課程,我決定去修書法課。我學會serif san serif兩種字體,學會在不同的字母組合間變換間距,學會活版印刷偉大之處。那是一種科學無法捕捉的美、歷史感與細緻的藝術,我覺得它很迷人。

我沒預期這些東西會對實際生活帶來什麼具體的作用。但是10年後,當我們設計第一部麥金塔電腦時,它又浮現在我心中。我們把這些想法都設計進麥金塔裡,它也是第一部有著優美字體的電腦。如果我沒有投入研究這門課,麥金塔電腦就不會有那麼多不同的字體或各種不同的間距。又因為微軟的作業系統抄襲了麥金塔,如果當時我沒做,可能所有個人電腦都不會有。如果我沒有退學,我就不會著迷於書法課,個人電腦就不會有今天各種優美的字體。當然我在念大學時,無法預見如何將這些點滴聯繫在一起,但是10年後再回顧,真的就非常、非常清楚。

再一次:你沒辦法預見這些點滴如何聯繫,唯有透過回顧,可以看出彼此關聯。所以你必須相信,無論如何,這些點滴會在未來互相連結,有些東西你必須相信,像你的直覺、天命、人生、因果,諸如此類種種。這樣的想法讓我永遠不沮喪灰心,也的確塑造了我人生中所有的不同。

我的第2個故事是關於愛與失去。

我很幸運嗎?我很早就發現我喜歡做什麼。20歲時,我跟Steve Wozniak在爸媽的車庫裡成立蘋果電腦。我們非常努力,10年後,蘋果從車庫裡的我們兩個人,變成一家營收20億美元、員工超過4,000人的公司。前一年,我們才剛推出最棒的作品——麥金塔電腦,而我剛過30歲,然後我被公司炒魷魚。怎麼被你自己創辦的公司炒魷魚呢?……隨著蘋果成長,我找了一個很有能力的人跟我一起經營公司,一開始很順遂,但是後來,我們對未來的願景逐漸分歧,最後只好拆夥。董事會決定站在他那邊,所以30歲時,我出局了,而且是公開出局。 曾經是我人生所有重心的一切都沒了,我幾乎被擊倒。

有幾個月,我不知道做什麼好。我覺得我讓企業家的前輩們失望了,我丟掉了交付在我手中的權杖。我跟David Packard(惠普科技創辦人之一)與Bob Noyce(英特爾創辦人之一)碰面,向他們道歉,我把事情搞砸了。我是一個公開的失敗案例,所以我幾乎想逃離矽谷。然而我慢慢領悟,我仍然喜歡我本來做的事,我在蘋果發生的轉折,一點都沒有改變這一點,我被否定了,但我仍然有熱情,我決定從頭開始。

當時我沒有察覺,不過後來被蘋果炒魷魚變成我人生中最棒的遭遇。成功的壓力重新被創業的輕鬆取代,每件事都少一點確定,讓我進入人生中最有創意的階段。

接下來5年,我又成立一家NeXT公司、一家皮克斯(Pixar)公司,還有跟一位很有魅力的女性談戀愛,後來她變成我的太太。皮克斯創作出世界第一部全電腦動畫電影《玩具總動員》,目前仍是世界最成功的動畫公司。值得一提的是,蘋果後來買下了NeXT,我重新回到蘋果,而我在NeXT發展的技術,成為蘋果後來復興的核心,我跟Laurene也有了幸福的家庭。

如果我沒被蘋果開除,我滿確定這一切都不會發生。它像是很苦的試藥,但是我想病人需要它。有時候,老天會拿磚塊打你的頭,但不要失去信心。我很確信,能讓我繼續走下去的唯一理由,就是我愛我所做的事。所以你必須找到你的所愛,不管是對工作、對愛情都一樣。你的工作會填滿你一大塊人生,唯一能真正滿足的方法,就是去做你認為偉大的事情。要做出偉大的事,唯一方法就是做你愛做的事。如果你還沒發現這是什麼,繼續觀察,不要停止。用你全心的力量,找到時,你就會知道。就像所有偉大的關係,隨時間展延,事情只會愈來愈好,所以繼續找,直到找到,不要停頓。

我的第3個故事,是關於死亡。

17歲時,我讀過一句話:「把每天都當成人生中最後一天來過,你就會很自在。」它讓我印象深刻,從那以後的33年中,每天早晨,我都會對著鏡子中的自己問:「如果今天是我人生中的最後一天,我應該做些什麼?」如果太多天的答案都是「沒有」,我知道我就應該做些改變了。

提醒自己,我快死了,是幫助我做人生重大抉擇時最重要的工具。因為每件事,包括別人的期待、榮耀、恐懼、或失敗,在面對死亡時都會消散,只剩下真正重要的東西。提醒自己你快死了,是最好的方法,避免你掉進患得患失的陷阱。你本來就一無所有,沒什麼理由不順心而為。

1年前,我被診斷出得了癌症。早上7點半,我被送去掃描,很清楚的看到胰臟上有腫瘤。那時候我甚至不知道胰臟是什麼器官。醫生告訴我,這幾乎是無藥可救的癌症,我應該活不過36個月。醫生建議我回家,安排後事,就是典型醫生對末期病人會說的話。這表示你要在幾個月內, 對孩子說完本來是未來10年要對他們說的話;這也表示你要把每件事安排好,家人才會比較輕鬆,這更表示你要開始說再見。

我想了這個診斷結果一整天。傍晚時,我被帶去做切片,他們把內視鏡從我喉嚨伸進去,穿過我的胃,進入腸子,把針刺進胰臟,取得一些腫瘤細胞。我打了鎮定劑,不知道發生什麼事,但是我太太在場,她後來告訴我,當他們在顯微鏡下看見細胞時,醫生們都脫口而出驚呼,因為這是一種很少見、可以用手術治癒的胰臟癌,後來我接受手術,現在沒事了。

這是我最接近死亡的時刻,我希望這也是未來幾十年中,我最接近的時刻。有了這次經驗,比起從前死亡只是一個有用但抽象的概念,我可以更確定的對你們說:沒有人想死。即使那些想上天堂的人,都希望能活著去。但死亡是我們每個人都要面對的終點,沒有人能逃過。事實上也理當如此,因為死亡可能是生命最棒的發明,它是生命變化的發動機。它帶走舊的,讓新的有空間。現在你們是新的,但沒有多久,你們會慢慢變成舊的,然後被清掉。抱歉我說得這麼戲劇化,但這是真的。

你們的時間有限,所以不要浪費,活在別人的人生裡。不要被教條困住,活在別人思考的結果裡。不要讓別人給的雜音淹沒了你內在的聲音,最重要的是,有勇氣去追隨你的真心與直覺。它們常常最知道你想做什麼。其他的都是其次。

當我還年輕,有一本很棒的刊物叫做《The Whole Earth Catalog》,是我這一代的聖經。創辦人叫史都華(Stewart Brand),住在這附近。他辦這本雜誌很有詩意,在1960年代末,在個人電腦與桌上型出版發明前,所有內容都是用打字機、剪刀、拍立得相機做出來的。它的內容就像把今天的Google印在紙上,在Google出現的35年前,它很理想化、充滿了很棒的工具跟概念。

史都華跟他的團隊出版了幾期後,出了停刊號。那是在1970年代中期,我跟你們現在一樣大的時候。在停刊號的封底,有一張清晨鄉間小路的照片,那種如果你很愛冒險,你會去健行搭便車的小路。照片底下有一行字:常保飢渴求知,常存虛懷若愚(Stay Hungry, Stay Foolish )。這是他們簽下的告別註腳,這也是我對自己的期許。現在當你們畢業,走上全新的道路,我也以此做為對你們的祝福。

常保飢渴求知,常存虛懷若愚。(Stay Hungry, Stay Foolish

謝謝大家。

まとめ

いかがだったでしょうか。

たまに見直してみると、自分の成長とともに新たな発見がありませんか?

いいスピーチというのはいつまで経っても色褪せません。自分の好きなスピーチ、言葉などを見つけて心に留めておくことはとても良いことだと思いますので、是非皆さんももしお気に入りの言葉などあれば定期的に見直してみてはいかがでしょうか。